野良爺風伝録

鈴鹿山脈の東麓で、薬草と機能性野菜の栽培に取り組む、気儘なオヤジの世迷言

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鈴鹿植木市

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今日は鈴鹿の秋の植木祭りに行ってきました。
2年間だったが農協の子会社で緑化工事や植木卸に従事し、イベントでの植木販売も行っていたのでこの雰囲気が懐かしい。
 
 植木生産者の方にはお世話になったので、少し鈴鹿の植木について書いてみよう。
鈴鹿川中流左岸は台地になっており、ヤマトタケル最後の地と伝えられ能褒野と呼ばれる広い原野であった。江戸幕府が崩壊して明治になった時に、その東北端の鞠鹿野と呼ばれる所に尾張の国より何家族かが入植してきたそうで、その後も増えていく。
 尾張藩の入植は城山三郎の小説『冬の派閥』の北海道は八雲町が有名だが、あちこちに入植していたようだ。
始めは陸稲やスイカ等を作っていたそうだが、明治37年ごろからスギやヒノキ等の山林苗木を生産するようになり、大正時代になると植木栽培が始まったと言う。
山林苗木については明治22年に亀山小林区署(後の営林署)が設置され、その後鈴鹿川対岸上流に住吉苗畑が設けられているので、技術指導等の関係があったと思われるのだが正確なところは判らない。

 戦中、戦後は芋などの食料生産をしていたが、住宅復興と共に植木栽培が盛んになって、昭和30年頃からサツキの量産を始め、特に東京オリンピックで大ブレークをした。
 従来のサツキは1本使いか、せいぜい小堀遠州で知られる大刈込で、局所的使用だったのが、道路や公園、ゴルフ場、ビル周り等で面的に使用されるようになり飛ぶように売れていく。
バブルの頃はそれが頂点となり、あちこちにサツキ御殿が建ち、平田にあったクラブ飛鳥野に行くと派手に札束を切る植木農家や業者で埋まったと言う。
 サツキは産地で1本300円で売れたが、稲沢の植木市場へ自分で持ち込むと450円もした時があったとか。300円としても坪25本栽培して1反で225万円になり、1町歩売れたら2250万円になるが、サツキの栽培には3年掛かるものの、3町歩所有は珍しくない。

 バブルは崩壊したが、植木生産者はそれぞれ工夫をして強かに生き残り、今回の植木市でも若い人が目立ったが、後継者がしっかりと育っているのが伺える。
 鈴鹿の植木は低木や下草類が主だが、高木類は減っているものの残ってはいる。今は一般的になったがコンテナ栽培と言われる不織布ポットを使った栽培方法は鈴鹿から全国に広まったものだ。
 自宅の庭木を切っている段階なので、新しい高木を買う気は無いが、金芽黄楊の値札を見ると25000円! 先週切ったうちの金芽黄楊の方が余程立派だったと悔しがる(^_^)
 結局、購入したのはサクナとアロエとニンニク。
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