野良爺風伝録

鈴鹿山脈の東麓で、薬草と機能性野菜の栽培に取り組む、気儘なオヤジの世迷言

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隠密猟師

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 前に書きました様に、JR西日本からの要請により線路に立ち入って列車の運行を妨害する鹿を罠で退治する事になりそうなので加太地区に2度目の偵察に行ってきました。
 罠猟は罠を掛ける場所だけでなく、その地域全体の地形や植生を理解し、動物の行動を大まかなりにも理解する必要があるのですね。

 実際に猟を始める前に何度か山へ通い、地形や獣の足跡を見つけてから罠を掛けようと考えています。今日も山中を彷徨ってきましたが、それだけでは面白くないので城跡を幾つか訪ねてその辺りの山中も探ってきました。気分は城攻めの忍者(^_^)

 先ず一番初めに行ったのが関氏発祥の地、久我館跡で、今はお寺になっていますが、地形的には城郭構造です。平清盛の嫡男、重盛の二男で平資盛(すけもり)が「驕る平家」を地で行い、摂政・藤原基房(もとふさ)の行列に道を譲らず騒動になり、重盛はここ久我の地に彼を流しました。
その後資盛は許されて都に戻りますが、その間に土地の娘へ子供を産ませ、その子、盛国が戦国時代には北勢で威を誇った関氏の始祖となります。
 北条早雲の伊勢氏はこの流れだと早雲自身が語っていますし、鎌倉幕府で御内人として権勢を振るった長崎氏もこの一門から出たとの説もあります?

 次いで関5家の一つでこの地を治めていた鹿伏兎氏の居城、鹿伏兎城へ行こうと思いましたが、城跡のある山に登るのは面倒なので(^_^)下にある御殿跡?の寺をパチリ。幕紋は関氏が使っていた平家の家紋で知られた揚羽蝶。

 そして鹿伏兎氏の支族で林氏と並んで家老格だった坂氏の居城鍛冶ケ坂城(梶ケ坂城とも)へ。ここも御殿跡?にお寺があります。加太川を外堀にして一気に坂道となりますが、この坂から坂氏を名乗ったのでしょう? 
 
 織田信孝の生母である坂氏はここの出との説もありますが、岐阜とは離れすぎていますよね。しかしその子信孝は関5家の一つ、神戸家に養子へ入って関家全体を支配するようになり、信長の後継者争いに敗れて知多で切腹後はその首を自分が建てた関のお寺へ葬られる訳ですから、因果は巡る緒車の‥かもしれない(^_^)
 
 城の南脇を通る大和街道旧道の坂道を登ると頂上は切通になっています。鎌倉の七口ではありませんが切通は防衛拠点でしたから、鹿伏兎城を守るためにここへ一族を置いて城を築いたのでしょう?
 
 鹿や猪だって切通を通って楽に山越へをしたいでしょうから、獣道も沢山あります。絶好の猟場ですが物好きな観光客が居ないとも限らないので残念ながら近辺には罠を掛けられません。

 今回は下之沢城と川俣城へは行きませんでした。この両城は楠木氏の末裔たちの城であったと前に書きましたが、新しいネタが入ったらまた訪ねようと思います(^_^)
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