野良爺風伝録

鈴鹿山脈の東麓で、薬草と機能性野菜の栽培に取り組む、気儘なオヤジの世迷言

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ラ・マンチャの爺さん

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 今日は雑用を済ませたあと午前中に図書館へ。「水滸伝 7~10巻」を借りてきました。改めて図書館を見渡すが、ここから移転する理由が判らない。
 カウンターには隣の歴史博物館で展示している「関萬古」の資料がおいてありましたが、図書館が移転したら歴史博物館は死にますね。今でも閑古鳥が鳴いていますがその上に図書館が移転したら利用者は激減する事でしょう。

 そして昼からは罠を回って畑に行こうと車を走らせていると、市役所から電話が掛かってきて「括り罠に鹿が掛かっていると××さんからお談話があったので、処理をお願いします」との事である。別に悪い事をしている訳では無いが、獲物が掛かっている事を自分より他人に先に見つけられるのは恥ずかしい。
 
 猪の場合だと事故にも繋がりかねないので、道路からは見えないところで、道路からは離れた場所に罠を仕掛けるのだけれど、それでも回収を考えると余り離れた所には掛けられない。
 
 前回は犬を散歩していて犬が吠えたのがきっかけだったが、今回も恐らくそんなところだろう? 現場は人が犬を連れて散歩に来るようなところではないが、車で来て犬を放したりする人も居るから気が抜けない。

 適切に処理をして山から下ってくると、伊勢湾とその向こうの知多半島、さらに三河湾を越した愛知高原の山並みが見えたので写真を撮りました。富士山の方角だが流石にそれは見えない(^_^)

 ご覧の様に、三河の山はそれ程遠くない。あの山や平野を舞台にした宮城谷昌光の「風は山河よりー菅沼三代」では、写真右奥の山の更に向こうに「女城主 直虎」の井伊谷が出てきます。
 
同小説でも、三河の吉良氏が写真中央やや右で山影になって見えませんが、伊勢神戸に領地を持ち、徳川家康の父松平広忠が子供の頃にお家騒動で暗殺の難を逃れる為に一時神戸の龍光寺へ避難していた事が触れられています。
 
 恐らくそれが縁ではなかったかと思うのですが? 伊勢神戸を領していた関5家の一つ神戸氏の家臣で伊勢楠木氏の支族木俣氏の一人が伊勢湾を渡って松平氏の家臣になり、その子か孫の木俣守勝が家康の家臣として出世し、井伊家が彦根城主になった時に井伊家筆頭の付け家老になって幕末まで続きます。

 木俣守勝の出世糸口が家康の伊賀越えだと言われますが、伊賀を服部半蔵が主導し、加太峠を越えた所で川俣城や下之沢城を支配していた楠木一党をバックに木俣守勝が活躍した事でしょう?

 想いを戦国の世に馳せて鹿や猪を相手に槍を振るっていますが、平成のアロンソ・キハーノですね(^_^)
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