野良爺風伝録

鈴鹿山脈の東麓で、薬草と機能性野菜の栽培に取り組む、気儘なオヤジの世迷言

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平之沢城攻略

 午後から久しぶりに関の畑へ赴きました。やはり山に近いせいでしょうか、自宅を出る時は照っていたのに、関の空は曇り車を降りると小雪が舞っています。
 とても畑仕事をする気にはなりませんが、はてどうするか? 罠の掛変へに山へ行くには中途半端な時間です。そうだ、ここからなら然程遠くない金場へ行こうと、平之沢城を探す事にしました(^_^)

 金場へ行くと、丁度お婆さんが自宅から出て見えたので、平之沢はどこですか?」と聞くと知らないとの事です。そこで「あそこの金谷さんはお元気でしょうか?」と聞くと「ご夫婦ともお元気です」との事。

 金場の金谷姓は金属加工に由来する名との事ですが、実は指さした家の金谷さんは、私が特殊印刷業を営んでいた折に、定年になったご主人にアルバイトをお願いしていたのです。
 さっそくお訪ねしてご無沙汰をお詫びし、お話しをお伺いしました。今は82歳との事で、当時から20年近くの歳月が経っていますが、お元気そうでした。残念ながら金谷姓に関するご先祖からの話は聞いていないそうですが、刀鍛冶が居た場所との伝説の地は教えて貰へました。平之沢と言う場所は知らないが、「ひらじ」と言う所は川の向うにあり、城があった言い伝えがあるとの事でした。

 それではと鍛冶場の跡を訪ねて集落の上に行きますが、振り返った川向うを見ると「あそこが城や!」とすぐに判りました。川を前に山裾へ御殿を作り、緊急時には山頂へ籠る典型的な中世城郭形式の風景が広がります。
hirasajyo.jpg

 場所を間違ったらしく、少し探しましたが、見つけた鍛冶場跡らしい所には屋根だけの小さな祠があり、変成岩の自然石が置かれています。金場集落の聖地である感じが写真からも伺える事と思います。
hokora1.jpg
 次はいよいよ平之沢城攻めですが、道を知らないので適当な場所で河原に下りたものの、渡河点がなかなか見つかりません。畑仕事の為に一応ゴム長靴は履いてきたのですが、水量が多くて水を被ってしまいます。河原を遡行していると堰堤の一部が切れてそこに板が渡してある沈下橋のような物があったので、それを伝って渡河。

 岸に上がると昔は田圃でしたが、一面に杉が植えられ、かなり大きくなっています。田圃だった所から一段上が水平になっていますが、その下にそって行くと石垣がありました。
doruirui1.jpg

この段差が土塁だったのか、単なる農地の斜面だったかは判りません。石垣にある登り道を上がると、100坪程の平地があり、石垣がありました。この石垣は両面を積んでいますから、農地の土留めではなく、明らかに塀の基礎部分であり、平地は桝形で、石垣の切れ目は門のあった虎口だと思います?
masuzi1.jpg

 その門跡らしきところからすぐの所に立派な石積みの井戸がありました。川の傍の農地にこんな立派な灌水用井戸を掘る訳がありませんから、ここにはそれなりの資力をもった者が居住していたと言う事になります。
ido1.jpg

 それ程の高低差はないので、山頂を目指そうとも思いましたが、日和見を決め込んで帰宅となりました。

 楠木正成の流れを汲む伊勢楠木氏が始まった所なのに、何一つ案内板を見かけませんでした。亀山市は史跡が豊富なので、放置されているのでしょうが、工夫すれば観光資源になると思いますが勿体ないですね。

 私は、前に書いた様に、古代にはここより少し上の石切り場跡で鉄鉱石を掘り出し、ここでその鉱石を細かく割り、加太川の水を使って選鉱したのではないかと思っています? スズカとは鉄の産する所で、ここがその原点だと考えているのですが?
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