野良爺風伝録

鈴鹿山脈の東麓で、薬草と機能性野菜の栽培に取り組む、気儘なオヤジの世迷言

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金王道

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 鈴鹿の山に雨も雪も降った。鹿は死ぬはず、イザ決戦!と勇んで山に向かったが罠には獲物の陰も形もなく、足跡すらない(^_^)
 先日の事だが、前に隣の猟場をうろついて居たら「俺の縄張りを荒らすな」と言われていたI氏から電話があり、喫茶店で会った。
件の場所はともかく、ここへ掛けてみろと亀山市の南部丘陵を案内されたのだが、鈴鹿山脈から派生して中の川と鈴鹿川を分け、鈴鹿サーキットの先で終わる丘陵である。

 先週末に猟師グループで巻狩りをしたところ猪が5匹ほど出たが、1匹しか獲れなかったので未だ居るはずだから罠を掛けよとの話で、地元猟友会の長老の顔を立てて1つだけ罠を掛けたのだが、話に嘘はなく今日見回ると猪は居る様で1つだけの罠は空ハジキをしていた(^_^;

 もっと掛けて置けば良かったと、新たな罠を掛けれそうな獣道を探していると、バッタリとI氏に合うではないか! 散歩がてらに獣の動きを見ているとの事なので、空ハジキをしていたと報告すると、こっちではなく、別れ道の左の道を行くと、銃猟は禁止されているが罠なら良い場所なので猟師が入ってないから入口に車を置いて見てみよと云う。

 どうせ暇なので話に従って金王道と呼ばれる道を進んだ。この道は東京は渋谷金王八幡宮として今に残る渋谷城を本拠に武蔵谷盛庄七郷(渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、一ツ木、今井など)を領していた渋谷金王丸常光が、保原の乱と平治の乱で源義朝に従い、平治の乱の敗戦で東国へ逃げる際に尾張国野間で義朝が暗殺された折に、京の常磐御前に義朝の死を告げる為に走った道とされ、その名が残る。余談ながら金王丸はその後頼朝に義経追討を命ぜられて京に登り、義経館を攻めたが逆に捕えられて殺された(義経は逃がしたとの説もあるが、それも一種の判官贔屓だろう)

 金王道を歩いてみると、低い所には雪が残るとともに猪の足跡もあるのですが、あちこちに鳥獣保護区の看板も立っていて、銃だけではなく罠猟もダメな地域です。アブナイアブナイ、油断のならない爺さんだ(^_^; 
 金王道は亀山市関町の古厩から鈴鹿市の岸岡(若松港?)までの道だそうですが、歩いた部分は古代の東海道でもあります。恐らく古代東海道は鈴鹿川の川沿い道と、氾濫時にそれを避ける山道があって、金王道は山道の方だったのではないだろうか?

 写真は1枚目が罠を掛けた日に撮った金王道に平行する道ですが、金王道もこんなものです。次は阿野田地区にある金王道へ繋がる道と川沿い道の分岐点です。古代交通の要衝に土塁っぽい藪があるので、城ではないかと思い、帰って調べたら、やはり阿野田城のようですね?

 阿野田城は関氏の配下である豊田氏の館ですが、私は久我を訪れた際に何時もの如く墓地を見た折に豊田家の墓が多かったので、平清盛の長子、重盛がその子資盛を諌める為に久我へ流罪し、資盛が地元の娘に産ませた子が関氏の遠祖と言われているが、娘は豊田一族であったので、その後関氏の有力武将となったと考える様になりました。暇になったら(今だって暇だろ!)地元の古老を訪ねて言い伝えを聞き、仮説の正否を確かめたいものです。

 金王道は散策する人も多い様で、俳句を書いた短冊が幾つも掛けてありました。私もそれに倣って1句 ^_^;「つわものが 駆けし山路や 残り雪」そのまんまで何のひねりも無い(^_^;
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  • 2016.12/19 18:11分 
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