野良爺風伝録

鈴鹿山脈の東麓で、薬草と機能性野菜の栽培に取り組む、気儘なオヤジの世迷言

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晩煙

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 ♪ ある朝 目覚めて さらばさらば 恋人よ
目覚めて われは見ぬ 攻め入る敵を

 夜明け前の薄闇を、故郷の地を守るべくパルチザン兵士はファシスト猪鹿党が潜む暗黒の樹林へと突入していく いたっ、敵だ! 僅かに動く黒い影! 剣鉈の柄を握り締め腰を落してゆっくりと前進する。しかし、それは風に揺れる椎の若木だった。 結局、今日も空撃ち1のみで戦果無し(^_^;

 帰路で初冬の空に立ち昇る煙が妙に愛おしく感じたので写真を撮った。次の写真の様に周りは草茫々に放置されているのに、老人の農地を守ろうとする執念からだろう、草を刈りそれを燃やしている。来年に米を作る準備か? イヤ、それは無い、周りが荒れ果てた中で、此処だけ稲を作れば実りの秋になると猪や鹿の集中攻撃に合い、幾ら防護策を講じても獣たちの餌場となってしまうのだ。

 それ以前に田圃に水を引いてくるのが難しいのではないだろうか? 日本の村落共同体の原点は利水にあると言える。みんなが力を合わせて水源から水路を開削し、幹線水路からそれぞれの田圃に水を引く、そして一定のルールでこの水路の維持や利水管理をする事こそが血縁関係の外にある村落結集の環であると言えるだろう。
 この老人がこの水田を再開しようとしても、耕作を放棄した周りの協力が無いので水源からここまで独力で水を引いてこなければならないが、荒れた水路の復旧を個人の力で行うのは難しいに違いない。
 
 この田圃の左奥に実家の元田圃があるが、ここら辺りは耕地整理の負担金を払い終えてまだそんなに経ってはいない。個人負担は1割で残りの9割は国民の税金で行われており、それが無になるのは国家的損失とも言える。
 耕作放棄は獣害のせいだけではない、しかし、その大きな要素を占めるのもまた確かだろう。
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