野良爺風伝録

鈴鹿山脈の東麓で、薬草と機能性野菜の栽培に取り組む、気儘なオヤジの世迷言

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県道28号線

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今週より狩モードから農モードの変更しているのだが、今日は雨と言う事で、壊れたチェンソーの燃料キャップを買いに、白山町家城の中勢森林組合が経営するSTIHL Shop へ行く。地元の農機具屋さんでも取り寄せて貰えるのだが、偶には南部へ足を伸ばすのも良いだろうとの遠出だ。
 行きはグリーンロード、帰りは関・白山線の県道28号を走った。私は布引山麓の集落を縫うようなこの道が好きで、いつも遠回りをして山村の景色を楽しんでいる。随所に中勢地域を支配した長野氏配下の城跡もあり、歴史おも感じさせてくれる道だ。
 
 ヤマトタケルは東征に際して、伊勢の地に天照大神祭った叔母の倭媛に会いに行き、草薙の剣を借りてくるが、関から行って関へ戻ってきている。タケルもこの道を通り、古代伊勢の国を南北に貫く道であったのではないだろうか? 古代は架橋技術が無かったから、川幅が広い下流での渡河が難しいので、地域を横断する道は渡河が容易な山裾を縫ったはずだ?
 大和政権が東国進出で伊勢の国を支配するにあたり、拠点を櫛田川流域と鈴鹿川流域においた。それを横に結ぶ道が今の県道28号線であったと考えるのだがどうだろう? 水稲は灌漑が容易な谷が平野に出る所で始まったと言われているが、将にそのような所を縫っており、中世の伊勢を支配した、関氏、長野氏、北畠氏の根拠地とも大きくは外れていない。
 伊勢の国の中心線は鈴鹿・布引の山裾にあったが、沖積平野の開拓と共に下流へと移行したと私は考えているが、何の裏付けも無い(^_^)
 
 写真は白山町家城から雲出川越しに雨雲で隠れた青山峠を望む。これに沿った道は初瀬街道と呼ばれ、奈良県桜井市へと繫がる。壬申の乱で吉野を抜け出た大海皇子はこの街道を使ったが青山峠は越えずに布引山地の西麓を通って関の厩へと出た。
 
 歴史とロマンに思いを馳せ、霧に煙る早春の山里を軽トラは走り抜ける(^_^;
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Comment

古代の道 

「古代は架橋技術が無かったから、川幅が広い下流での渡河が難しいので、地域を横断する道は渡河が容易な山裾を縫ったはずだ」・・・賛成です。鈴鹿赤坂頓宮から一志の頓宮まで斎王たちが徒歩で一日で果たして可能なのだろうか、と疑問に思っていましたが、この直線に近いルートを行けば可能ですね。距離は約34km、大人の足なら8時間30分。解決しました。
  • posted by 樹の神様 
  • URL 
  • 2014.03/20 10:27分 
  • [Edit]
  • [Res]

でも当時は 

道は舗装もされてないし、
草木もあるし、
アップダウンも激しいし、
川も渡らなければならんし
34kmといっても12時間くらい
かかっていたかもしれませんねえ

NoTitle 

「お江戸日本橋七つ立ち」旅は夜明けとともに歩き出すw 山登りもそうだな

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