野良爺風伝録

鈴鹿山脈の東麓で、薬草と機能性野菜の栽培に取り組む、気儘なオヤジの世迷言

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禁じられた遊び

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「小人閑居して不善を為す」と言いますが、しっかりワルサをしておりました。武器の製造です(^_^;
今更、武装蜂起をする元気はありませんが、趣味も高じると道具に拘りが出て、罠猟では良い刃物が欲しくなります。武士の魂が刀なら罠猟師の魂は狩猟刀だと言うわけですね。
  
 今、使用している狩猟刀はレッドオルカの実用甲伏剣鉈7寸です。これは日本刀の鍛え方の一つで軟鉄を芯にして3方を鋼で巻く造りで、希少鋼材を使ってもっと値段の高い物はありますが、この秋友義彦氏が鍛えた甲伏が狩猟で実際に使う剣鉈としては、今の日本では一番良いと思っています。私の使う物はその中で最も安い物ですが、それでも今の販売価格は4万5千円だと思います。
 これ以上の物を望むとなると刀匠が玉鋼で打った狩猟刀になり、最低でも15万円はしますが、この値段となるとたとへ買ったとしても勿体なくて猪は刺せません(^_^)
 
 さて、どうすれば良いか? 答えは簡単で「本物の日本刀を使えば良いジャン」となりました(^_^)
日本刀は美術品ですから、それを猟に使うには色々と問題がありますが、廃棄した日本刀を使ってナイフを作れば、刀匠が玉鋼で鍛えた本物の狩猟刀が手に入る訳です。
  
 そこで、ヤフオクで日本刀の残欠を探したのですが、出ているのは銃刀法規制の15センチ以下に切った物ばかりです。
狩猟刀は凶器ではなく、包丁等と同じく生活に必要な道具なので長さや幅の規制はありません。規定は反りを付けない・ハバキを付けない・目釘ではなく柄に固定するとの3点だそうです。
 
 やっと出てきたのが写真右の物で、錆錆で使い物になるかどうか判りませんが、長さは十分に有りそうです。思いはみんな同じなようで、1000円のスタートでしたが、結局は18人が参加し、最終的には25500円で落札できました。見かけはくず鉄以下ですから、これはもうバクチですね。
 
 グラインダーと鑢とサンドペーパーに砥石を使い、作り上げたのが左の品々です。鍔の2点は秋田の米田刃物から取り寄せて少し加工しました。口金2点は鎌の口金を磨きました。柄や鞘は桜の板や鍬の柄の折れた残りなど有り物です。
 
 一番上は切っ先があって長さも十分なので期待していましたが、残念ながら錆が酷かった。そこでお茶を煮詰めたものに酢を加えた液に放り込み、黒錆(酸化第二鉄)処理をしてみました。ガンブルーと呼ばれるものですが、まだちょいと黒さが足りませんね(^_^)刃の部分だけを研ぎましたが、使い道が無いので拵えはしてありません。刃渡りは30センチですが、細い為に軽く実用に耐えそうです。

 二番目は右写真の左端の物で、鋒両刃造り、所謂小烏造りの山刀にしました。茎側の残欠は嶺側へ焼が入っていないので柔らかく、切っ先を上に出来無い為に少しでもポイントを下げる苦肉の策。しかし当地ではこの形に意味があるです。
 
 前に書いたように、伊勢神宮に信仰の厚い猟師が鈴鹿峠(当時は未だ無かった)の北側にある三子山で刀を拾ったのですが、この刀を持って山に入ると必ず獲物を得る不思議な力があったので、この噂を聞いた当時の伊勢の守、平忠盛(清盛の父)が栗真ノ庄(三重大のある辺り)の年貢三千石と引き換えにし、平家の宝刀になった伝説があります。
 平家の宝刀にはこの木枯丸(抜丸)と小烏丸の二振があったと言われ、小烏丸は何本も残されています(^_^) その一振りは皇室財産ですが、これが鋒両刃造りなので、一般的にこの形を小烏造りと呼ばれるようになりました。しかし平安時代の刀が江戸時代に突然現れたわけですから、当然に偽物ですね(^_^) たぶん木枯丸の伝説の形を模した物と思われます。
 
 木枯丸は清盛の異母弟、平頼盛が引継ぎますが、頼盛は清盛と仲が悪く本家筋とは相容れなかったので、平家の都落ちには参加せず、母の池禅尼が頼朝の助命を懇願して生き延びた恩を受けて所領と地位を安堵され、その子孫は池氏として残ります。将に守り刀だ。
 木枯丸の伝説は、頼盛が平治の乱で熊手に掛けられて引き倒されそうになった時に、これを切り落とした話で消えますが、鈴鹿の地に戻って元の狩猟刀になったとすれば夢があって楽しいでしょう(^_^)
 
 三番めも上と同じで、タガー規制により上側に刃は付いていません。四番目は竹割鉈に仕立てました。残欠利用の竹割鉈は竹工芸や木工をする人は一本は持っていたり、無ければ欲しい一品です。バランスもよいので精々利用して色々な物を作りたいものです。
 五番目は解体用ナイフで刃渡り15センチ弱、これが合法サイズです。六番目はパイプに差し込んで槍として使う用になっており、菊池槍と呼ばれる物です。日本の突く武器には槍と矛がありますが、槍の歴史は比較的新しく、南北朝の争いのキーポイントとなった箱根竹之下の合戦で、菊池氏が竹を切ってその先に短刀を結わえて武器とし、千の軍勢で三千の尊氏軍を圧倒したのが始まりとされています。それ以来発展していきますが、短刀型は菊池槍と呼ばれてその後も使われました。
 
 武器は揃いましたが、猟期は15日まで。次のシーズンまでこれらを眺めて楽しみたい物です。
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