野良爺風伝録

鈴鹿山脈の東麓で、薬草と機能性野菜の栽培に取り組む、気儘なオヤジの世迷言

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私の城下町

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昼前に、熱暑の中を図書館へ
土曜日の図書館は結構混んでいた
雑誌をちょいと読んでいたら、腹が減ってきたので規定の7冊を借りて帰路へ

城の北側、町の外れに車を乗り入れて帰った
我が亀山は6万石の城下町である。
内陸部にあるが飛び地として海を持ち、今の鈴鹿市の一部である伊勢若松を領しており、ロシアへ漂流して帰還したので有名な大黒屋光太夫は亀山藩百姓身分であった。
城主の出入りが激しかったが、畿内からは東国への出口と言う戦略要地のために、何れも譜代大名であった
今も城跡には櫓が一つ残っているが、天守閣ではないので、あまり趣は無い

城の南側を東海道が走って、町屋が連なり、北側に武家屋敷が並んでいたが、高級武士が住んだ所は明治維新で殿様と一緒に東京へ出たのが多いのか、寂れている
写真の土塀は中屋敷と地名は残すものの、お屋敷街とはとてもいえない中で、往事を偲ばせる築地土塀だ。
しかし、その下の写真で判るように、今も籠がすれ違えるだけの道幅のままで、廃屋や売り地の看板が多い
その隣は内堀で、上には小学校があり、その下の写真の川は外堀に当たるが、城よりは2キロ程下流の所で写した。

城より1キロ程上流の川底から、ミエゾウの化石が見つかっている
市内のあちこちでゾウの足跡が見つかっており、古代にはこの辺りをゾウが群れをなしていたのだw

しかし、今の川辺には、ゾウどころか人間の子供すらいない。
昔は夏になるとどこの川も魚を追い回す、川ガキの姿が見られた物だが、今は川で遊ぶ子の姿は無い

今日の百姓一句
里の川 遊ぶ子も無く 蝉の声
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