野良爺風伝録

鈴鹿山脈の東麓で、薬草と機能性野菜の栽培に取り組む、気儘なオヤジの世迷言

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暑い夏

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暑い日が続きますね。
山へよく登った頃は、梅雨明け10日と言って、天気が安定して夏山シーズンの到来を喜んだものですが、今では乾いた畑を眺めては暫く雨は望めないなと悲嘆に暮れています。
今日も酷暑の中で草取りに励んでおりましたが、水分補給の休憩タイムに畑地より少し下がって鈴鹿の山を眺めてきました。

 「山を思えば人恋し 人を思えば山恋し」信濃大町で日本初の山案内人組合を創設した、 百瀬慎太郎の有名な言葉ですが、山を眺めると思い出が雲のように湧き出てきます。

 山への個人的な思いはまた別の日として、写真左端は「御所平」。信長の伊勢攻めに、次男の信雄を養子にする事で和睦した北畠具教が三瀬谷で殺された後、その子信意が隠れ住んだところから御所平と呼ばれている。信意は安濃川上流の河内に幽閉されたと言われており、その実は謎だ。中央は仙ケ岳、右端の野登山のある野登寺の奥の院。伊勢平野に屹立する鈴鹿の山は殆どが雨乞い信仰の山である。

 麓に流れるのは鈴鹿川第一の支流である安楽川。信長の後継者を巡る争いで、柴田勝家と結んで亀山城を根拠に反秀吉の兵を挙げた滝川一益を攻めるに当たり、秀吉は近江から鈴鹿峠ではなくこの上流の安楽越えから伊勢に侵入した。今は第二名神の鈴鹿トンネルが通っている。右下にこんもりと茂る小山が亀山城が陥落したあとも秀吉に抵抗しつづけた峰城跡。
 
 写真の橋から少し行くと、壬申の乱で大海人皇子一行が、川曲の坂下(かわわのさかもと)に着いた所と言われる場所が有るが、皇子一行の通った場所ではあっても、夕方に着いたとされるので、出立した関の厩からは近すぎる。この川を越せなかったのが何度もここに書いているヤマトタケル。写真右外に墓稜がある。

 しばし古の人に思いを馳せたあと、畑に戻って草取り再開。やはり暑いわ(^_^;
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