野良爺風伝録

鈴鹿山脈の東麓で、薬草と機能性野菜の栽培に取り組む、気儘なオヤジの世迷言

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オケラだ

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山菜の美味しい頃ですが、「山で美味いはオケラにトトキ、里で美味いは瓜茄子 嫁に食わすも惜しゆござる」と謡われて美味しい山菜の代表的なオケラが大量に送られてきました。
どこの山里から? いえいえ、大都会からです。 某大学の薬学部が研究を終えたが貴重品なので捨てるには惜しいからと、うちの赤矢地黄8株と交換されて送られて来ましたが、まるでわらしべ長者ですね(^_^)

 正確にはホソバオケラで、生薬名を蒼朮(そうじゅつ)と言い、啓脾湯、葛根加朮附湯など多くの漢方薬に使われます。
別名を佐渡オケラと言いますが、佐渡オケサとは関係ありません(^_^) 朝鮮人参の時に書きましたが、江戸時代も進んで8代将軍吉宗の頃になると町人が経済力を付け、健康に気を付ける余裕が出てきたのか朝鮮人参を始め、朝鮮や中国から漢方薬の輸入が急増して貿易赤字の最大原因となりました。
 
 それ以前の日本は綿布が最大の輸入品でした。映画やテレビドラマで室町期やそれ以前に多くの庶民が白い着物を着ていたらそれは時代考証がデタラメです(^_^) 庶民はみんな麻の衣服を着ていたのですね。
戦国時代には旗や陣幕、兵の衣料など大量の綿布が大陸から輸入されるようになり、それに硝石が加わって、メキシコ銀が産出されるまでは世界の貿易決済は日本の輸入超過で国外に出た石見銀山の銀で為されていたと言われます。
 江戸時代になると日本でも綿の栽培が普及して綿布の輸入は止みましたが、代わって朝鮮人参等が貿易赤字の主な原因となりました。逆に言えば何でも国産で間に合い、日本の文化や技術が充実していたとも言えるでしょう。

 そこで貿易赤字に悩んだ幕府は薬草の国産化を計りますが、オケラもその一つでした。
中国から渡来したホソバオケラを下付された当時の薬草奉行であった阿部友之進は、ホソバオケラが日本のオケラと交雑し易いのを知り、幕府直轄地であり「佐渡は四十九里波の上」と本州から離れて雑種化しにくい佐渡を選び、奉行所薬草園に自ら赴いて植えたと言います。
以来、佐渡で栽培が盛んになり、別名を佐渡オケラと呼ばれるようになりました。

 しかし、現在の佐渡では薬用植物としてホソバオケラの裁培は行われておらず、羽茂地区などで保存栽培が行われているだけとか?元々中国原産ですから、安い労働力の中国から輸入される物に太刀打ちできる訳がないのですね。
ホソバオケラは日本に雌だけしか渡来しなかったそうで、繁殖は株分けで行われた為に栽培地が限られ、今も企業や大学の薬草園、そして一部の地域でしか栽培されていません。
 珍しいからと言っても生育には4年程かかり、生薬原料としての経済栽培ではとても採算が合いそうにありません。取りあえず種の保存が第一で、小さく株分けして大量の苗を生産したいと思います。
有る程度まとまった栽培ができれば、鈴鹿もホソバオケラの産地に出来る事でしょう?
「山で美味いはオケラにトトキ」と聞かされても実際に食べた人は少ないでしょうから、先ずは山菜としての利用を考えていこうと思います。
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  • 2013.04/17 12:23分 
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