野良爺風伝録

鈴鹿山脈の東麓で、薬草と機能性野菜の栽培に取り組む、気儘なオヤジの世迷言

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草枯伝

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 今日はのんびりと刃物を研いで過ごす。
 写真下は我が家で一番大きな刃物で、タイルの目地が10センチだから、刃渡り40センチと言う事になる。
爺さんが日露戦争で持ち帰った物で、中国の処刑用刀らしい?

と、言うのはウソで(^_^) 九州型ローラー式押切の刃で、刈置きしてあるススキを小さく切って畑に撒く準備に研いだ。

 写真上は我が家に代々、草枯(くさがらす)と呼ばれて伝わる猟師刀だ。
今世紀最大かとも言われる寒波で、鈴鹿も雪が降っている。こんな夜は我が家に伝わる、この山刀の昔話でもしようか。

 昔々、平安時代の話
我が家は代々の貧乏家系で、当時も例に違わず貧乏でなあ
ご先祖様は貧しい暮らしから何とか抜け出したいと、毎日伊勢の方に向かっては天照大神に金持ちになりますようにと願いを込めて祈っておったそうじゃ。
するとある夜、枕元に天照大神が現れて、「山に分け入り、猟をして妻子を養うがよい」と言いなさった。
ご先祖様はこのお告げを信じて、さっそく鈴鹿の山で猟を始めなさった。
しかし、俄か猟師に捕まる獲物なんぞありゃせん、神さんウソ言うたんやないかと疑いを持ち始めたある日、鈴鹿峠の一つ北にある三子山の山ん中で猟をしておると、刀が落ちているのを見つけた。
訳でもあって間道を旅した者が行き倒れているのではと周りを探したが、だれもおらんじゃった。

 これは神様が言いなさった授かり物じゃと、家に持ち帰り、翌日からはこの刀を持って猟をしたが、どういうわけか今までとは違って狙った獲物は悉く捕れるようになった。
ある晩、ご先祖様が刀を木に立てかけて鹿を待ち伏せにしていていると、朝になると、昨日は青々としていた木が一夜にして枯れておったそうじゃ。
そこでご先祖様は木が枯れたのは、この剣の霊力によるものであろうと、名を木枯(こがらす)と付けた。
 
 このころ伊勢守をしていたのが平家の忠盛殿で、その噂を聞きつけて、ぜひともその剣を見たいとご先祖様を呼びつけたそうな。
実際に手にとって見ると噂どおりの名剣じゃ、忠盛殿はどうしても欲しくなり、栗真ノ庄(今の三重大がある辺りから河芸にかけた土地)からの税(三千石?)と引き換えに木枯を譲らんかと持ちかけた。
かくしてご先祖様は念願どおりの金持ちになることができ、我が家系で唯一人、金持ちになられたが一代で元の木阿弥じゃった。

 話を元に戻すと、それからしばらくして忠盛殿は京の都に帰り、六波羅の屋敷で昼寝をしていたときのことじゃ。
池から突然大蛇が現れ、忠盛殿をひと呑みにしようとした。将にその時、枕もとの木枯がひとりでに鞘から抜け、大きな音を立てて倒れた。
この音で目を覚ました忠盛殿が見ると、木枯は大蛇に切っ先を向けて倒れ、これに恐れをなした大蛇は池へと逃げ戻っていったとか。
このとき以来、木枯は抜丸とも言われるようになり、平家の家宝として伝えられたのは有名な話じゃ。

 しかし、世に伝わる話は大事な事が抜けておる。
実は三子山で見つけた刀は大刀と小刀の2振りあってな、大刀を木枯、小刀は草を枯らしていたので草枯と名付けられてたのじゃ。
猟師が猟をするのに今も昔も大刀なんぞ使う訳が無い。鹿や猪の大物は罠で捕まえて槍で仕留め、小物は弓矢で捕っておった。カモシカなんぞは冬になると谷に追い込み、膝より深い雪に追い詰めると動けなくなるので、頭を棒で叩いて殺し、皮に傷がつかないようにしたものよ。
しかし小刀は違う、獲物に止めを刺したり、血抜きや解体に使い、猟師には無くてはならない道具じゃ。そこでご先祖様は、大事な小刀を取られると困るので草枯は忠盛殿には見せんかった。
こうして草枯丸は残って代々と我が家に伝わり、今もこうして光っておる。
恐れ多くも天照大神様よりの授かり物じゃ、努々疑うなかれ。
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