野良爺風伝録

鈴鹿山脈の東麓で、薬草と機能性野菜の栽培に取り組む、気儘なオヤジの世迷言

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川へ

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 もうすぐ3月だというのに寒い日が続き、鈴鹿の山も薄っすらと雪を纏っている。
しかし、間違いなく春は近づいているのだ。春が来たら、あの山の麓に分け入り、山菜を採ろう。

 千松信也氏の『ぼくは 猟師になった』を読んで感じたのは、自分は余りにも環境を無駄にしすぎているという事である。もっと身近にある自然を楽しまなくてはいけない。
以前から凄い人もいるものだと感心して見ていたホームページが、実は氏が匿名で書いているものだと知って更に驚いた。http://hunting.seesaa.net/index-2.html

 氏に習って、自然から食べ物を分けて頂く事にもう少し力を入れ、そして楽しもう。
我が家は川に囲まれた丘陵にあるので、先ず川から攻めたい。
うなぎに藻屑蟹に鮎だ、カジカやヨシノボリも取れる。上流に行けばアジメ泥鰌がいるし、初夏になったら箱根山椒魚を捕って黒焼きにして食べたいものだ。
多くの書籍は処分し、雑誌類は殆ど捨てたのだが、『サライ』の1995年10/19日号がとってある。特集は「川魚を堪能したい」だが、そこにあるウグイの田楽を一度試そうと思いつつ、果たせないまま18年が経った(^_^)
今年こそ試してみたいもので、4月頃の雌が良いそうだが、問題は串焼きにする程の大物が獲れるかどうかだな(^_^;

 東海地方は先ず、伊勢湾口に南方からの海洋民族が住み着き、徐々に湾奥へ進出したと言う。
当地では鈴鹿川の河口に接する磯津に海人が住みつき、それらが鈴鹿川を遡行して、亀山警察署の前右、鈴鹿川と竜川が作った舌状台地の先端部に居を構えて漁労採取生活を送っていたそうで、石斧などと一緒に網の錘石が出てきているとの事だ。
 五木寛之の『戒厳令の夜』では、海人族は更に東に向かい、熱海や安房、安積、そして信濃川を遡行して安曇野まで達したとあったと思うが、日本列島に住みついた人達は内陸部でも狩猟ではなく、漁労を主としていたとすると面白い。

 何れにせよ、太古の人は鈴鹿川での漁を生活の主としていたのだから、もう少し身近な川の幸を見直してみようと思う。
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